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グレイシー柔術の誕生

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グレイシー柔術の創始者エリオグレイシーは虚弱体質であったため、兄カルロスから見て学習した技術のほとんどを自分では実践できないのに気が付きました。その技術を自分でも使えるようにと、 

自分の弱い体に合わせて変形させ始めました。力やスピードに対してテコの原理とタイミングを上手く使い、エリオは事実上すべての技術を改良し、試行錯誤を重ね、グレイシー/ブラジリアン柔術を生み出したのです。

新しい流儀の有効性を証明するため、エリオはブラジル全土の有名な格闘家に戦いを挑みました。彼は18回戦い、その中には元世界ヘビー級レスリング・チャンピオンのウラデック・ズビスコや、当時世界ランク第2位の柔道家であった加藤も含まれ、加藤はリオのチョークスリーパーで開始6分で気絶してしまいました。加藤に対する勝利は、日本で史上最高の柔術家であり、自分よりも約36キロも重い世界チャンピオン木村政彦との戦いの道を開きました。木村は戦いに勝ちましたが、エリオの技術にとても感銘を受け、エリオが試合中に見せた技術を日本で教えてくれないかと尋ねました。これが、世界最強の王者がエリオの洗練された格闘技を認めた瞬間でした。

43歳の時、エリオは元生徒のウォルデマル・サンタナと戦い、3時間40分という、無制限ルールの試合としては史上最も長い戦いを行いました。

エリオは、ブラジルの歴史で初のスポーツの英雄として認められ、プリモ・カルネラ、、ホセ・ルイス、エザード・チャールズにも戦いを挑みました。しかし、彼らは全員断ったのです。

マイホームパパで健康的な生活様式の模範となった男は、彼を知る者にとって勇気、規律、決意、創造性の象徴だったのです。現代の伝説となったエリオ・グレイシーは、自身の技術と哲学の普及に対して国際的な賞賛を得て、グレイシー/ブラジリアン柔術の創設者と認められるようになりました。

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